白いノート

this and that

ひょっこり邪悪ちゃん

同性の友人から、久しぶりに連絡があると少しドキッとする。そして、その予感は大体的中する。

こうやって、報告してくれるのは嬉しい。本人と同じように幸せを感じるし、祝福したいし応援したい。朗らかな気になる。

だけどなぜか、別種の気持ちも同時に顔をのぞかせたりして....そんな自分がいることに戸惑ったり、残念に感じたり。仮にその別の気持ち、感情を「邪悪ちゃん」と言うことにしよう。

なんで素直に喜べない(いや、喜んでいるんだけど)のか、邪悪ちゃんが出てくるのか。(そこまで腹黒に考えてもないけどね)

どうしても自分と人を比べているからなんだろう。彼女の今は、彼女の積み重ねの結果でもあって、私はその過程を十分に知っているのに。彼女はこうだけど、私はこうで、ああだこうだと考えてしまうことに、本当に情けないなぁなんて思う。本人だって、配慮して伝えてくれただろうに。

翻って、今まで私も、どれくらい他の人に同じような思いをさせていたのだろう。色々と感じやすくなったこの数年も、仕事が生活の中心だったその前も、やりたいことをやってた学生の時だって。

もしかしたらこの先も、無意識に人を傷つけたり、思いがけずグラついたするのかなぁなんて考えると、ほええ、ってなるよ。

自分に関しては、受け止め方を調整するというか。鈍感力とか受け流す力、別の視点から物事を見てみたり、「私にもいいことあるよ」と無理矢理ポジティブに惹きつけてみたりと。ライフスタイル雑誌にあるような「しなやかさ」を身につけることでどうにかなりそう。まー、その穏やかな状態にたどり着くまでが、簡単じゃないんだけどなー。

こう色々と考え苦しむのは、様々なステージにいる女性だけでなく男性も、老いも若きも、富めるものも貧しきものも、どんな人も同じなんだろうな。隣の芝は青くて、満たされない。煩悶するのは人間の性なのかも。

今日の出来事、連絡をくれた友人の話に戻って。思考があちこちに飛んだけど、よく考えてみれば、そこまでザワついたことでもなかった。シンプルな結論のために、複雑に考えすぎてていた......

ひょっこり邪悪ちゃんは、厄介な存在だけど仕方ないね。

今日も無事1日を過ごせたのならば、それでいーじゃん、なのだ。