白いノート

this and that

妊娠記録#7 : 性別がわかりました

北京1年目で妊娠が分かり、少しずつ振り返っています。今回は、性別判明にまつわるお話。

 

 

〇〇色のほう

性別がわかるのは大体、妊娠5ヶ月ごろからと言われています。北京で受けている妊婦検診では毎度のエコーはないのですが、性別がわかるチャンスは6ヶ月の秋、それが難しかったら8ヶ月の冬とみていました。

10月の一時帰国でたくさんのベビー用品を買い込み戻ってきた後、私たちは21週(6ヶ月)の検診に臨みました。中国では医師が産前に性別を伝えることを禁止しているようですが、私たちは「外国人だから」と主張し、絶対に尋ねるつもりでした。

この日まで、私は男女どちらだろうとずっと気になっていました。つわりの酷さや足の浮腫み具合、両親の性格など色々諸説はあるようですが、検診日が近づくに連れ本当にドキドキしました...!

 

いざ受けたエコー検査は、赤ちゃんの体の隅々までチェックするもの。頭部や内臓を一つ一つ確認していたようですが、最初はどこの何を見ているのか分からず。器具をお腹に当てるだけで、側面や断面図がわかる仕組みが不思議でした。時間が割と長く、技師も静かにモニターを見ていたので、私も緊張してしまって....。もう性別のことはいいので、無事でいてくれと祈るような気持ちでした。

30分ほどのエコーの末、「赤ちゃんの向きが見えづらいので、時間をおいてまた見ましょう」ということに。このタイミングで夫が性別を尋ねました。技師の最初の反応はやはり「教えることができない」でしたが、夫が食い下がると...

「ピンクの方(粉色的)」。技師の回答に、「お、女の子ですか?」と聞くと、うなずいていました。

 

びっくり、でもなんとなく納得

「女の子なんだ.....」。病室を出て、しみじみと考えました。驚きましたが、私はどこか納得。妊娠初期の頃はなんとな〜く男の子だと思っていたのですが、時間が経つにつれて女の子の気がしていたのです。

私はちょっと大雑把で気が強いところがあります。いわゆる異性からの「モテ」タイプじゃなかったかも。
なので、「いざ女の子だったら、どう育てればいいんだろう」とか「美意識が高まっている現代、思春期に整形したいと言い出したらどうしよう」なんて、同姓の子を育てることに緊張していたところでした。そう考えるほど、すでに女の子を宿している気がしたのです。

いざ女の子と分かり、ほっとしたような、覚悟が決まったような感じがしました。

一方、男3兄弟で育った夫は、女の子であることがまだ想像できない様子。しばし放心していたのが面白かったです。

 

私が子どもだったとき

性別について、私は何か構えてしまうところがあります。

記憶のある4、5歳の頃から、私は一応女の子のつもりでした。テレビで見ていたのか、周りの子を真似したのか、私もセーラームーンが好き。

でも、両親が私に着せる服はほとんど”お古”で、男の子の向けのデザインも多くありました。さらに髪型も眉上5センチのパッツン、襟足もバリカンで刈ったのかというくらいの短さ。父譲りのゲジゲジ眉毛もあいまって、男の子にしか見えません。外食でお子様ランチを頼むと、いつも車や電車といったおもちゃが出されました。

実際男の子とも仲良く、木登りやかけっこ、乗り物おもちゃでも遊んだ”やんちゃ”な子供。自分が女の子とも男のことも、あまり意識しない。だけど、お子様ランチ注文時のように、周囲から「男の子」と見られることには、毎度少し寂しさがありました。

 

実際、両親は「女の子/男の子らしく」は意識していなかったようです。むしろ、生まれるまで性別を知ろうとしなかったみたい。ジェンダーに対する意識ゆえではなく、本当にいろいろと気にしていなかったそう。ある意味、変わった両親なのかも。

 

そのためか、私はいい意味で”女の子だから”がなかった。赤・ピンク系を好むようになったのも、おしゃれやお料理に関心を持つようになったのも、自分からな気がする。一方で、お人形遊びはあまり通らないで来ちゃったのかなぁ。

 

女の子は大変なの?

そんなこんなで、”女の子グループ”という大枠に囚われずに培った私らしさは、学生や新社会人の頃まで続いた気がします。女だからといった優劣を感じることなく、自分の意思で切り開いてきた(うまく流れに乗ってきた)気がする。

 

だけど.... 大人になってみると性別を意識することは結構あるんですね。

 

仕事で知り合った人たちとの宴会は楽しかったけど、今思い返すと「若いねーちゃん」として見られていたところもあったんだろうなぁ。関心を持ってくれたのは嬉しかったけど、若さと女と愛嬌で、ちやほやされていたところもあるはず。

「女性で、この仕事はすごいね」とか、あなたは「バリキャリ」「女性活躍」みたいなことはよく言われたし。別に嫌ってわけじゃないのだけど、「私が違和感なく進んできたこの道は、ちょっと特別なことなんだ」と気づくようになったというか...。

 

そして20代で感じるようになった、生物学的な女性性。生理前のだるさや眠さ、冬の生理痛がしんどくなってきました。気持ちも不安定で、周りを困らせたこともあるでしょう。ココンディションの良い日が月に数日しかない。「やっぱり男性は有利なんだ」と何度も本気で思いました。

さらには、結婚や子どもといったライフプラン....。あれ?自分の好きな仕事をしながら、子や家を持つ生活って結構大変なことなんじゃない??って。何か折れることが必要?
これは20代後半で急に突きつけられたなぁ。もっともっと前から女の子らしく生きて、異性との付き合いを通してイメージを持っておいたら、うろたえることはなかったかなぁと、ふと思う。今まで何もなかった「生きづらさ」を初めて感じるようになった。

 

.....と、このように女を生きてきた私の経験があるため、「女を育てる」側になるのが若干不安です。母親が一番身近な女性だもんね。

 

今の時点でも「周りからも女の子とわかるよう、ピンクがいいのかな」「女の子だからピンクを選ぶなんて、これこそジェンダーの刷り込みだわ」なんて、服1枚選ぶのにも逡巡しています。笑

といいつつ、ピンクもそれはそれで可愛い。ちょっとずつ増えていますよ。f:id:erie_n:20240204133539j:image

夫から言わせれば、変に意識しすぎなんですけども。

 

 

でもこれだけ言いたいのが、私は自分の人生を過ごしてきて、一応女の性として生まれて過ごして、なんだかんだ楽しいです。

だからお腹の娘も、実りある人生をこれから送って欲しいなぁ、と願います。性別が決まるのは本当にたまたまで、それと人生の質を左右するわけじゃないもんね。

 

なんか長くなっちゃった。そんな感じです。